ずっと以前、僕がまだ九つで、この世が素晴らしく、


「ずっと以前、


僕がまだ九つで、


この世が素晴らしく、


人生がまだ美しく


不思議な夢であった頃、


僕以外の者が皆、


少しキ印だと思っていた


従兄のムーラッドが、


朝四時に家に来て


僕の部屋の窓をたたいた。


「アラム」


僕は飛びおきて、


窓の外を見た。


僕は自分の目が


信じられなかった。」

ウィリアム・サローヤン
『我が名はアラム』福武文庫 1987 冒頭書き出し

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その意味では日本文明というものが歴然と存在します


「わたしが考えている


文明というのは、


むしろフランスにおける


シビリザシオンにちかいもの


でございまして、


精神文明も物質文明も


両方ともふくんでおります。


歴史的連続体としての


文明をかんがえている。


そのなかには


人間そのものがふくまれております。


人間の組織、


人間をとりまく


さまざまな装置、


道路であるとか、建築であるとか、


都市・産業、そういうさまざまな装置群、


さらにそれを運営するとりきめ、


つまり制度ですね。


その全体をふくんだもの、


それの歴史的連続体が


文明だというふうに


かんがえております。


いいかえると、


人間、装置、制度、組織の全体で


つくっているシステムが


ひとつの文明である、


その意味では日本文明というものが


歴然と存在します。」

梅棹忠夫
『京都の精神』角川ソフィア文庫 平成17 p.162

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私に足場を与えなさい。地球を動かしてみせよう。


「昔、


アルキメデスが言った。


「私に足場を与えなさい。


地球を動かしてみせよう。」


これが現代の話なら、


私たちの電気メディアを指して、


こう言っただろう。


「君たちの目、耳、神経、脳の上に立とう。


地球は私の思いどおりの


テンポとパターンで動くだろう。」

マーシャル・マクルーハン
『メディアの理解』第七章、原著p.68

W.テレンス・ゴードン『マクルーハン』ちくま学芸文庫 2001

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ジョイスがお嬢さんを連れてユングに相談に来る


「ジェイムズ・ジョイスの


お嬢さんが分裂病で、


ジョイスがお嬢さんを連れて


ユングに相談に来るんです。


ジョイスは、


自分もいっぱい新造語を


つくったりした人ですから、


自分の娘は


新しき芸術家だと確信しているわけです。


世の中には認められていないけれども、


自分よりも


もっとすごい芸術家だと。


しかしユングは、


「あなたは芸術家だけれども、


お嬢さんは分裂病にすぎない」


と答えるんです。


なぜかというと、


意識的なかかわりというか、


あるいは操作といったらいいか、


それが介在したものとして


つくられているのが


ジョイスの新造語である。


ところが娘ルシアのそれは


無意識が


そのまま出てきているだけだから、


芸術ではないと言うんです。


だけどジョイスは


それを肯定しない。」

河合隼雄 谷川俊太郎
『魂にメスはいらない』
講談社+α文庫 1993 p.91

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エリオットが猫好きだったのは一読すれば了解できます


「詩集『キャッツ』は、


ご覧のように十五篇の詩から


成り立っています。


一篇一篇の詩には、


きわめて個性豊かな猫たちが登場し、


それぞれのドラマを展開しています。


ニコラス・ベントリーの挿画も、


それぞれの詩の持ち味を生かし、


詩を引き立てています。


エリオットが、


大変猫好きだったのは


一読すれば了解できますが、


猫の仕草や性格


(その内面性、神秘性、獣性)


が実に生き生きと


的確にとらえられています。」

池田雅之「訳者あとがき」T.S.エリオット『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法』ちくま文庫 1995 p.122-123

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イデオロギーが死に、戦争と革命は生きのびている


「これまで、


戦争と革命が


二十世紀の様相をかたちづくってきた。


事件がいろいろと起ったのは、


レーニンのかつての予言を、


ただ大急ぎで実現するためだった


かのようである。


たしかに民族主義と国際主義、


資本主義と帝国主義、


社会主義と共産主義のような


十九世紀のイデオロギーを


主義主張として掲げている人びとは


依然としてまだ


大勢いるが、


これらのイデオロギーは


もう現代世界のリアリティの


大勢からはかけ離れている。


これに反して


戦争と革命は、


今日もなおわれわれの世界の


二つの重要な政治課題


となっているのである。


つまり、


戦争と革命を正当化する


イデオロギーがすべて


死に絶えたのちにも、


戦争と革命そのものは


生きのびている。」

ハンナ・アレント
『革命について』序章 冒頭 ちくま学芸文庫 1995 p.11

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じっさい、今日まで遷都令はでておりませんので、


「わたくしどもは、


いまでも京都は首都である


と信じております。


子どものときから


くりかえしきかされた話


でございますが、


京都は旧都でなく


現に首都である。


それでは東京はなんだ


ということになりますが、


「あれは行在所である」、


そういうぐあいに


きかされてまいりました。


じっさい、


今日まで遷都令というのはでておりませんので、


いまでも天皇は


京都にいらっしゃるはずになっております。


京都は旧都でも、古都でも、廃都でもなく、


これこそは


永遠の都である


ということでございます。」

梅棹忠夫
『京都の精神』角川ソフィア文庫 p.59 平成17

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「最後に天皇陛下万歳を三唱しましょう」「私は止める」


「翌十九日、


北一輝と西田税は、


青年将校らと同じく銃殺刑に処せられた。


すでに支那事変はエスカレートし、


日本軍は南京方面に向かう作戦を計画していた。


処刑前に


横に並んだ西田税が、


「最後に天皇陛下万歳を三唱しましょう」


といったが、


北は、


「私は止める」


といい銃弾を受けて、


五十五歳の生涯を終わった。


戒名は


「経国院大光一輝居士」


である。」

豊田穣
『革命家 北一輝』講談社文庫 1996「第六章五・一五事件勃発!」末尾 p.545

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マクルーハンって、誰?君が普通の人なら、


「マクルーハンって、誰?


君が普通の人なら、


おそらく聞いたことがあるだろう、


マーシャル・マクルーハンという名を。


『プレイボーイ』誌が


「ポップカルチャーの大司祭」


あるいは


「メディアの形而上学者」


と呼んだ人だ。


そして、


彼の唱えた次のような標語を


ご存知かもしれない。


「メディアはメッセージである」


「グローバル・ヴィレッジ(地球村)」


──でも問題はそこだ。


君はマクルーハンの本を


読んだことがないばかりか、


それを読むべきだと思い知らす本も


読んだことがないのだ。」

W.テレンス・ゴードン
『マクルーハン』ちくま学芸文庫 2000 p.8-9

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孔子「論語」


「己れの


欲せざるところを


人に


施すこと勿れ」

孔子「論語」

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«この世に発表されたレコードのなかで最も重要で、